「長寿のためのコレステロール ガイドライン2010年版」に対する声明

平成22年9月1日に、「脂質栄養学会・コレステロールガイドライン策定委員会」という組織から、標記「ガイドライン」1)が発表された。この内容をめぐる一部のメディアの報道により、一般の方々のみならず、患者やその家族の方々の間にも、コレステロールに関する認識に、混乱を招いている。日本動脈硬化学会は、「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007」2)をまとめた学会として、標記「ガイドライン」の問題点を整理し明らかにする責任があると考える。
 第一に、「ガイドライン」という名称の問題である。ガイドラインとは、診療の「道しるべ」となるべき基本的な考え方を示すものである。日常診療において、科学的根拠に基づいた診療(EBM)の重要性が指摘されて久しい。EBMを追及するためには、多くの科学的臨床論文にあたり、それらを評価し、その信憑性を理解したうえで、患者の診療に適用するということが要求される。しかしながら、きわめて多忙を極め、多種多様の疾病を扱う第一線の医師にとって、日々更新されるそれぞれの疾患の臨床論文について、詳細に評価することはほぼ不可能に近いことと考えられる。ここに、専門分野の診療に携わる医学研究者を多く擁する「学会」などが、診療のガイドラインを作成する意義がある。世界中で極めて多数の臨床研究論文が発表されるが、これらを複数の目で客観的に科学的に正しく評価し、重要度のランク付けをして、その核心的部分を診療の場に生かすために作成されたものがガイドラインである。したがって、ガイドライン作成に当たっては、そこに取り上げられる臨床研究論文は正しく検証評価されたものでなくてはならない。
標記「ガイドライン」の最も大きな問題点は、ここにある。この中で引用されている中心的な論文は、ほとんどが学術論文の科学性を担保する「査読(発表に際しての専門分野の複数の研究者による検証)」をうけた論文ではない。標記「ガイドライン」の中心となっている論文の一つに疫学調査の「メタ解析」3)がある。本来メタ解析とは、十分評価された科学的臨床論文を一定の基準に沿って偏りなく集めて、分析するものであり、それがあってこそ最も科学的信頼度の高い研究と評価されるのである。しかし、標記「ガイドライン」で引用されている「メタ解析」は、厳密な科学的査読を受けた論文とは言えない論文を含めて「メタ解析」したとしているのであり、科学的な観点から極めて問題のある解析である。
 このように科学的根拠に乏しい標記「ガイドライン」をガイドラインと呼ぶことは容認できない。
 第二に、観察研究であるコホート研究において、血清コレステロール値と総死亡との関係を論じた問題である。血清コレステロール値と動脈硬化性疾患の発症との関係は多くの科学的検証を経た疫学的論文の一致するところである。標記「ガイドライン」の主要な論点が、血清コレステロール値と総死亡率との関係で論じられているが、多様な原因で起こる死亡とたまたま死亡の数年前に測定された血清コレステロール値との関係に因果関係を求めることは本来無理があり、結論を導き出すことについては極めて慎重にすべきことである。血清コレステロール値が患者の栄養状態や顕在的潜在的を問わず疾病の存在を反映することは医の常識であり、特に肝疾患で血清コレステロール値が低下するということは診断学的にも用いられている。このような背景を持つ人々の短期の死亡率が高くなる可能性があることも医の常識である。NIPPON DATA80という疫学的研究で明らかになったことは、低コレステロール血症を示し、死亡率が高いという人々の集団の解析をしたところ、肝疾患が多かったということである4)。すなわち、肝疾患ゆえに低コレステロール血症を示し、そのような人々の死亡率が高いという「因果の逆転」を見ていることになる。米国のMRFIT5)、ドイツのPROCAM6)という調査でもそれぞれ原因は異なるものの同様の関連が認められている。さらに、血清コレステロール値と総死亡率の関連を因果関係としてとらえるべく分析するには、総死亡に最も強く影響している他の要因、年齢はもちろんのこと、喫煙、高血圧、多量飲酒等の「交絡因子」を考慮に入れた分析が必要である。
 第三に、観察研究であるコホート研究と臨床介入試験との違いを混同している問題である。コホート研究とは、ある時点で調査対象者を登録し、その集団を何年間か追跡調査し、どのような疾患を発症したか、どのような疾患で死亡したかを調べ、登録時や追跡期間中の対象者の臨床データとの関連を調べ、どのような因子がそれらの疾病発症もしくは死亡に関連しているかを検討するものである。NIPPON DATA80は1980年に登録された住民(約8000人の男女)を19年間追跡し、どの因子が循環器疾患死に関連するかを検討したコホート研究7)である。その結果、欧米の研究と同様、年齢・性別、喫煙、高血圧、糖尿病そして血清コレステロール値が循環器疾患死の危険因子であることを示したのである。つまり、コホート研究は、多様な集団を追跡していくことにより、その多様な因子と疾患発症との関係を検討することができるという特徴を有する。その副産物として、上述した血清コレステロール値と総死亡率の関係において「因果の逆転」という現象が証明されたのである。
 一方、臨床介入試験とは、一定の集団に一定期間定められた「治療」を行い、予め定めた目標(特定の疾患の発症など)に変化が起こるかどうかを調べる臨床的研究であり、たとえば高コレステロール血症の「患者」を対象として、ある方法で血清コレステロール値を下げると冠動脈疾患の罹患率や死亡率が減少するかどうかを調べるというような研究である。このために、多くの研究では、「患者」を均等に二分し、一方に対しては薬剤、もう一方にはプラセボ(偽薬)を用い、さらにどちらを使用しているかは被験者にも医療者にも知らせないで行う二重盲検という手法をとる。二つの群はほぼ同様の背景因子を持った被験者群であることが特徴であり、この方法は、現在、薬剤の効果を客観的に評価できる唯一の仕組みであるとされる。
 この観察研究であるコホート研究と臨床介入試験とを混同すると、血清コレステロール値を下げると死亡率が上がるという憶測にたどりつく可能性が出てくるのであり、決定的な過った解釈を導く可能性が出てくる。これまでに発表された科学的検証に耐えうる臨床介入試験のメタ解析8-10)の結果は、LDL低下薬(スタチン)で血清コレステロール値を下げても総死亡が増加することはなく、むしろ統計学的に有意に減少することが証明されている。また、これまでに行われた多くの臨床介入試験の結果によれば、血清コレステロール値が高い人々を治療して動脈硬化性疾患を予防できることは、科学的にほぼ完全に確立された事実である。
また、コレステロールもしくはLDLコレステロールと動脈硬化の関係については、病理学的研究、細胞生物学的な基礎研究でも証明されたことである。
標記「ガイドライン」が発表されて以来、高いリスクを持つのにも関わらず服薬をやめたいという家族性高コレステロール血症(FH)をも含めた高コレステロール血症の患者も出てきていると聞く。日本動脈硬化学会は、科学的根拠なく、必要な患者の治療を否定するような標記「ガイドライン」を断じて容認することはできないことを表明する。
 

2010年10月14日
日本動脈硬化学会
理事長 北 徹

 
参考論文
1) 日本脂質栄養学会 長寿のためのコレステロール ガイドライン(2010年版) 中日出版社 2010
2) 日本動脈硬化学会 動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年版 日本動脈硬化学会 協和企画 2007
3) Kirihara Y., Hamazaki K., Hamazaki T., et al The relationship between total cholesterol levels and all-cause mortality in Fukui city, and meta-analysis of this relationship in Japan. J Lipid Nutr 17:67-78 2008
4) Okamura T, Tanaka H, Miyamatsu N, Hayakawa T, Kadowaki T, Kita Y, Nakamura Y, Okayama a, Ueshima H; NIPPON DATA80 Research Group. The relationship between serum total cholesterol and all cause or cause-specific mortality in a 17.3-year study of a Japanese cohort. Atherosclerosis 2007;190:216-223.
5) Sherwin RW, Wentworth DN, Cutler JA, et al Serum cholesterol levels and cancer mortality in 361,662 men screened for the Multiple Risk Factor Intervention Trial. JAMA.;257:943-8.1987
6) Cullen P, Schulte H, Assmann G. The Munster Heart Study (PROCAM): total mortality in middle-aged men is increased at low total and LDL cholesterol concentrations in smokers but not in nonsmokers. Circulation 9:2128-36.1997
7) NIPPON DATA80 Research Group. Risk assessment chart for death from cardiovascular disease based on a 19-year follow-up study of a Japanese representative population. Circ J. 70:1249-55, 2006
8) Baigent C, Keech A, Kearney PM, et al Cholesterol Treatment Trialists’ (CTT) Collaborators. Efficacy and safety of cholesterol-lowering treatment: prospective meta-analysis of data from 90,056 participants in 14 randomised trials of statins. Lancet. 366:1267-78.2005
9) Thavendiranathan P, Bagai A, Brookhart MA, et al. Primary prevention of cardiovascular diseases with statin therapy: a meta-analysis of randomized controlled trials. Arch Intern Med. 166:2307-13.2006
10) Mills EJ, Rachlis B, Wu P,. et al. Primary prevention of cardiovascular mortality and events with statin treatments: a network meta-analysis involving more than 65,000 patients. J Am Coll Cardiol. 53:2312; 2009

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